雨粉神社 (旭川市) 参拝 2024-05-06

雨粉神社は旭川市神居町、雨紛の田園を見下ろす丘の上に鎮座する無人の神社さん。
この日は境内入り口にヒグマ注意の張り紙がありました。
このページは、2024年5月6日に雨粉神社を参拝した時の記録です。
雨粉神社概要
| 住所 | 〒070-8033 北海道旭川市神居町424 | ||
| 駐車場 | なし | ||
| 社務所 | 無人 | ||
| 電話 | 0166-65-3151(上川神社) | ||
| 例祭日 | 8月31日 | ||
| 旧社格 | 村社 | ||
| 所属 | 北海道神社庁 | ||
| 摂社・末社 | なし | ||
| 公式サイト | 公式Instagram 公式Facebook | ||
| 創建 | 明治26年(1893年) | ||
雨粉神社 鎮座地マップ
雨粉神社のご祭神
ご祭神
天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)
大己貴大神(おおなむちのおおかみ)
少彦名大神(すくなひこなのおおかみ)
日本神話の女神。太陽神。高天原の主宰神。皇室の祖先神。皇大神宮(伊勢神宮内宮)のご祭神。
表記:天照大神 天照皇大神 など
別名:大日孁貴神(おおひるめむちのかみ)など
出雲大社に祀られ国土開発・経営を行った国造りの神である「大国主神」の別名。
表記:大穴牟遅神 大那牟遅神 など
別名:八千矛神(やちほこ-)葦原色許男(あしはらのしこを)宇都志国玉神(うつしくにたま-)など多数
日本神話の神。大国主神と共に国土を開拓にたずさわる小人神。豊かな知識と技術で困難を解決。温泉の神、医療の神、酒造の神の側面も。
表記:少名毘古那神 など
雨粉神社のご由緒
明治二十六年この地に入植した先人が、開拓殖産と無病息災の祈りをこめて、現在地にお祀りしたのが雨粉神社の御創祀である。
雨粉神社の由緒書きから
当時は一村一社の定めであったが、地域の発展とともに産土神社護持の気運が高まり、入植者こぞっての運動がみのり、大正五年には国から正式の神社として創立の許可があり、続いて昭和四年に村社となり、神饌幣帛料供進神社に指定された。
御創祀以来いつの時代もかわることなく、国家の繁栄、郷土の発展、五穀豊穣、家内安全を祈り地域の人々の篤い崇敬を受け、近年も社殿の改修、社務所改築、大鳥居の建立、神輿の謹製、参道石段の改修が行われた。雨粉の守護神、産土神社として、平成四年には御創祀百年を迎えた。
写真でバーチャル参拝
鳥居をくぐり参道を歩き、拝殿の前で参拝するまでの様子を、写真のスライドショーにまとめました。
全部見ると本当に参拝した気分になれるかも・・・😊
参拝日:2024年5月6日(月曜日) 午前7時45分頃
小雨が降る中傘を差しながら・・・
そして下の張り紙にビビりながらの参拝と撮影。

雨粉神社 ギャラリー
ご本殿
奥行きのある拝殿、幣殿の向こうに見える本殿は改築されたのでしょうか?


狛犬
手水舎の手前に鎮座する小振りの狛犬さんは日本酒が好きなのでしょうか?
風化が激しく痛々しい。


あれこれ
石碑


灯籠
社殿の前に立つ灯籠に神仏習合の雰囲気が感じられます。


その他


社務所
社殿と屋根続きの立派な社務所ですが、神職さんは常駐していません。
雨粉神社 雨紛囃子について
雨紛神社の由緒の裏に描かれていた雨紛囃子について紹介します。
雨紛囃子は旭川市の郷土芸能です。
昭和二十年八月、終戦間際に東京方面から緊急開拓団二十三戸が当時の神居村の共栄地区に移住した。
雨紛神社の由緒書きから
その中に高橋剛三郎氏という埼玉県大和田出身で大和田囃子の中心人物として活躍していた人がいた。開拓村の笹小屋で、人々の心を癒す為に、太鼓をたたき、踊りを舞い、子供に伝承したのが始まり。
昭和二十年九月、地元雨粉の秋祭りに奉納、雨粉神社の名をのせ「雨粉囃子」としたのが由来である。
元祖は関東江戸囃子の流れをくむ、埼玉県新座市大和田にある新座市無形文化財「大和田囃子」で奈良時代より氷川神社に伝わる伝統的囃子である。
境内入り口に立てられた幟の絵は、雨紛囃子のことが描かれているものと思われます。


雨粉神社 御朱印情報
雨紛神社の御朱印は上川神社の社務所でいただくことができます。
今回は手書きで書いていただきました。

最後に
2024年5月6日、雨粉神社参拝の記録でした。
12月中旬頃から3月下旬頃までは正月3が日を除き積雪のため参拝はできないそうです。





















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