顕勲神社(旭川神社境内社) 参拝 2024-05-06

顕勲神社は旭川神社の境内に鎮座する末社さん。
戦前は「東旭川護国神社」と呼ばれていました。
このページは、2024年5月6日に旭川神社境内社 顕勲神社を参拝した時の記録です。
顕勲神社概要
| 住所 | 〒078-8261 北海道旭川市東旭川南1条6丁目4-4 | ||
| 駐車場 | 境内の前 or 旭川神社駐車場 | ||
| 社務所 | 9:00〜17:00(旭川神社) | ||
| 電話 | 0166-36-1818(旭川神社) | ||
| 例祭日 | 7月5日 | ||
| 旧社格 | ? | ||
| 所属 | なし | ||
| 摂社・末社 | なし | ||
| 公式サイト | 旭川神社のサイト内 | ||
| 創建 | 明治38年(1905年) | ||
顕勲神社 鎮座地マップ
顕勲神社のご祭神
ご祭神
日露戦争から大東亜戦争にいたる
戦没者の英霊四一三柱
顕勲神社のご由緒
境内の石碑から
明治三十七年日露の開戦により
屯田兵をはじめ五百名が出征し、
旅順奉天を攻め北緯を守り功を収
めたが、戦没者も四十名を数えた
翌三十八年初めて慰霊祭が行わ
れ、その後七月五日を招魂祭日と
定め、帝國在御軍人会東旭川村分
会の主催となった。
大正四年社殿を造営し儀式も神
仏両式で行われたが後内務省令に
より神式祭後となった。
満洲、支那事変、大東亜戦争へ
と戦没者も急速に増加したが敗戦
後は村民一丸の奉賛会を結成し、
顕勲神社と名称を定め四一〇柱の
英霊をまつり今日に至っている。
写真でバーチャル参拝
スライドショーにするほど写真がありません。
参拝した証しとして撮影した顕勲神社の写真を何枚か掲載します。
参拝日:2024年5月6日(月曜日) 午前11時15分頃
旭川兵村記念館の向かいが顕勲神社の境内になります。


社号標には顕勲神社の沿革が刻まれています。
旭川神社 境内社の八幡愛宕神社と鳥居と色合いや重厚感が似た顕勲神社の鳥居。
軽く一礼してくぐります。
広くはありませんがきれいに整備された境内。
玉砂利の参道を歩き、社殿の前は御影石の石畳になります。


小さな祠ですが重厚感が漂う造りです。
階段下の賽銭箱の前で二礼二拍手一礼にて参拝しました。
顕勲神社 境内あれこれ
ゼロ戦のプロペラ
社殿に向かって右側にはゼロ戦のプロペラが置かれています。
何年か前に、沖縄県の石垣島付近の海から引き上げられたものと書かれています。
ちなみに、戦闘機の胴体は空気に触れるとまもなく崩壊してしまったそうです。
特殊な合金で造られたプロペラだけが原形を損なうことなく残っているとのこと。
加藤建夫少将 顕彰之碑
加藤建夫は東旭川屯田兵二世で、太平洋戦争時に「加藤隼戦闘隊」を率い、大日本帝国陸軍航空隊の至宝と呼ばれたパイロット。
石碑には「空之軍神」と刻まれています。
顕勲神社 御朱印情報
顕勲神社の御朱印はありません。
最後に
2024年5月6日、旭川神社境内社 顕勲神社参拝の記録でした。















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