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豊幌神社 (江別市) 参拝 2024-05-26

豊幌神社
豊幌神社 (江別市)

豊幌神社は江別市豊幌に鎮座する無人の神社さん。

このページは、2024年5月26日に豊幌神社を参拝した時の記録です。

豊幌神社概要

住所〒067-0021
北海道江別市豊幌703-6
駐車場境内横に広いスペースあり
社務所無人
電話011-382-2201(江別神社)
例祭日春季:4月3日
秋季:9月12日
旧社格無格社
所属北海道神社庁
摂社・末社なし
公式サイトなし
創建明治30年(1897年)

豊幌神社 鎮座地マップ

豊幌神社のご祭神

ご祭神
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
大國主神(おおくにぬしのかみ)
神武天皇(じんむてんのう)

天照大御神(あまてらすおおみかみ)

日本神話の女神。太陽神。高天原の主宰神。皇室の祖先神。皇大神宮(伊勢神宮内宮)のご祭神。
表記:天照大神 天照皇大神 天照皇大御神 など
別名:大日孁貴神(おおひるめむちのかみ)など

大國主神(おおくにぬしのかみ)

日本神話の神。出雲大社の主祭神。国土開発・経営を行った国つ神の主宰神。
別名:大那牟遅神 大己貴神 八千矛神 葦原色許男 宇都志国玉神など多数

豊幌神社のご由緒

明治30年に沼の端神社、大国主神社、明治31年に榛の木原神社、昭和24年に土功組合神社がそれぞれ建立された。その後昭和39年に、幌向川の切換えにより揚水機場を移設しなければならなくなった。
この揚水機場敷地内に建立されていた土功組合神社も移転しなければならなくなり、この際に4社を合祀して豊幌地区全域の守護神とする事になり、豊幌419番地4に昭和41年豊幌神社として合祀された。
地域の守護神としての豊幌神社は氏子崇敬社の造詣も厚く、やがて神殿造営の気運が高まり昭和50年9月に新しい神殿が造営された。
 その後、隣接する豊幌小学校の校舎拡張にともない移転を余儀なくされ、神社関係者、遷座委員会、奉賛会等の尽力により現在地(豊幌703番地6)に平成7年12月1日に新社殿が造営竣工され、その趣を新たにすると共に、狛犬、灯籠、社標柱、樹木、調度類などの奉献奉賽を得られ、その威容は堂々として、広く住民の心の拠り所となっている。

合併により合祀された歴史をもつ御祭神
沼の端神社 神武天皇 明治30年創祀 昭和41年合祀
大国主神社 大国主大神 明治30年創祀 昭和41年合祀
榛の木原神社 天照大神 明治31年創祀 昭和41年合祀
土功組合神社 天照大神 昭和24年創祀 昭和41年合祀

写真でバーチャル参拝

鳥居をくぐり参道を歩き、拝殿の前で参拝するまでの様子を、写真のスライドショーにまとめました。

全部見ると本当に参拝した気分になれるかも・・・😊

参拝日:2024年5月26日(日曜日) 午前9時20分頃

  • 豊幌神社 境内入り口
    豊幌小学校の道路向かいに境内入り口があります。
  • 豊幌神社 社号標
    右手に社号標。
  • 豊幌神社 一の鳥居
    軽く一礼して一の鳥居をくぐります。
  • 豊幌神社 参道前半
    よく整備された砂利の参道を歩きます。
  • 豊幌神社 参道と狛犬
    参道の途中に狛犬さんが控えています。
  • 豊幌神社 参道を左折
    参道は途中で左に90度折れます。
  • 豊幌神社 二の鳥居
    軽く一礼して二の鳥居をくぐります。
  • 豊幌神社 参道と社殿
    ここから参道は舗装路になります。右手の建物は社務所のようです。
  • 豊幌神社 手水舎
    参道左手に手水舎。
  • 豊幌神社 手水鉢
    水は出ませんでした。この時だけ何故か陽が射してきました。
  • 豊幌神社 灯籠 狛犬 社殿
    社殿の前には新し目の狛犬と灯籠が建っています。
  • 豊幌神社 社殿と狛犬
    色合いのせいか風格の中にやさしさを感じる社殿。
  • 豊幌神社 社殿の廂
    ご祭神は天照さんということで内削ぎの千木。
  • 豊幌神社 社殿の扁額
    扁額の横に付いているものはなんでしょう?
  • 豊幌神社 社殿の前
    鈴を鳴らしお賽銭を入れ二礼二拍手一礼にて参拝しました。
  • 豊幌神社 社殿の中
    ガラス越しに社殿の中を撮影させていただきました。

豊幌神社 ギャラリー

ご本殿

豊幌神社 本殿

狛犬

豊幌神社の狛犬さんは社殿の前と参道の途中に1対ずつ、計2対鎮座しています。

社殿の前の狛犬さんは平成7年建立。

参道途中にある昔風の狛犬さんは1975年奉納と刻まれています。

こちらは阿吽が逆ですね。

開拓之碑

境内に隣接している駐車スペースの片隅に建つ大きな石碑は開拓之碑。

豊幌神社 開拓之碑

 江別市長 松川 清 書

本地区は明治十四年国道開通翌十五年小樽幌内間の炭鉱鉄道の開通後八年経過の明治二十/二年に此の地に居を構えたのは伊坂竹造という人で幌向川沿に渡船と小農を営んだに始り/明治二十三年川合市太郎翌二十四年梶野石太森永善太郎岡本猪熊等同二十五年には渡道待/機してゐた三好小平三好芳造其他が区画植民として入地したることにより老樹鬱蒼と陽を/蔽ふ寂寞の地に本格的な開拓の鍬がおろされたのであつたその後明治三十一年幌向村育成/小斈校幌向太分教場の開校に依り義務教育が始り三十四年十月郡界変更のため幌向村より/江別村に編入され交通の不便は稍緩和されたが冷害水害に苦しみつゝ来るべき年の幸福を/祈り乍ら鋭意村造に努めた しかしながら畑作経営では生計困難となり大正十三年加藤銊/太郎川合毅一三好岩吉堀田倉之助等相圖り開田に踏切り道の許可を得て同十五年百三十町/歩を開田昭和二年更に五十町歩の造田に成功し計百八十町歩の造田を見るに至つた其の後/昭和十六年四月夕張川の切替に依り江別太の一部榛の木原の十一戸を合併し部落名も既に/同十四年豊幌と改め部落の発展と経営の安定に努力したが打続く用水路の災害に加え隔年/の様に冷害に痛めつけられ乍らも米作えの努力は続けられた折しも終戦後の食糧増産のた/め幌向原野の開発が国策として計画化されていたので昭和二十八年樺太引揚入地して居た/豊平滝野部落が駐留軍演習地に接収されて他転の止むなくされた十六戸が入植翌二十九年/以降一般入植として四十数戸の入地を見葦と沼の不毛の幌向原野の開拓に営々として苦闘/を続けられたが畑作地開拓では将来の見通しも暗く同三十九年開田に計画変更し辛苦の結/果四百余町歩の全面開田に成功し現在八百余町歩の黄金波打つ豊幌理想郷を築きあげたの/である 此処に先人の偉業を想い開基八十周年と幌向原野入植十五年を卜し碑を建立しそ/の沿革の大要を記録し地域住人の隆昌を希うものである
  昭和四十三年九月十五日

※ 実際の碑文は縦書きで半角の「/(スラッシュ)」の位置で改行されています。

あれこれ

参拝していて気になったことが一つ。

社殿の前の阿形の狛犬さんがずいぶんと傾いていたこと。

どうしてこんなことになったのか気になります。

傾いた阿形の狛犬

このことと関係があるのかどうかわかりませんが・・・

一の鳥居の根元が崩れていたのも気になりました。

豊幌神社 鳥居の根元

社務所

まるで人が常駐しているような雰囲気ですが普段は人がいません。

豊幌神社 御朱印情報

豊幌神社の御朱印は本務社の江別神社でいただくことができます

(窓にその旨が書かれた張り紙がありました)

書き置きでの対応になります。

豊幌神社 御朱印

最後に

2024年5月26日、豊幌神社参拝の記録でした。

豊幌神社 社殿