興部神社(興部町) 参拝 2023-05-22

興部神社は興部町市街中心に近い興部公園の一角に鎮座する無人の神社さん。
無人とは思えないほどきれいに整備されていました。
このページは、2023年5月22日に興部神社を参拝した時の記録です。
興部神社概要
| 住所 | 〒098-1600 北海道紋別郡興部町興部1064 | ||
| 駐車場 | なし | ||
| 社務所 | 無人 | ||
| 電話 | 0158-84-2656(雄武神社) | ||
| 例祭日 | 9月10日 | ||
| 旧社格 | 村社 | ||
| 所属 | 北海道神社庁 | ||
| 摂社・末社 | 相馬大神 | ||
| 公式サイト | なし | ||
| 創建 | 明治32年(1899年) | ||
興部神社 鎮座地マップ
興部神社のご祭神
ご祭神
大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)
大己貴大神(おおなむちのおおかみ)
少彦名大神(すくなひこなのおおかみ)
(いわゆる開拓三神)
国魂は国を神格化した存在であり、土地神、地主神のことを指す。北海道神宮に祀られた開拓三神としての大国魂神は北海道の土地神。
出雲大社に祀られ国土開発・経営を行った国造りの神である「大国主神」の別名。北海道を開拓し、社会を築くために欠かせない神様として開拓三神の一柱として祀られる。
表記:大那牟遅神 大穴牟遅神 など
別名:八千矛神(やちほこ-)葦原色許男(あしはらのしこを)宇都志国玉神(うつしくにたま-)など多数
大国主神と共に国土を開拓したことから開拓三神の一柱として北海道に祀られた神。温泉の神、医療の神、酒造の神の側面も。
明治天皇が未開の地だった北海道開拓にあたり、守護として祀るよう命じられた三神。
大國魂神・大那牟遅神・少彦名神
興部神社のご由緒
本町開拓の草創である明治32年9月、住民の総意を結集し、富山県移住団体長堺井常右衛門らが発起人となり、興部原野(北興)に小祠を建立し、天照大神を奉斎したのが創祀とされている。その後社殿を市街地に移転することとなり、大正初期、現在の緑ヶ丘の土木現業所附近の丘に社殿を新築し4ヶ年間祭典を執行した。その後大正4年現在の幸町国道の跨線橋下附近に社殿を移し、大正8年現在地の宮下町宮ヶ丘に移転した。昭和5年神殿1棟を新築し参道も山側より市街側に新設し同年札幌神社の御分霊を奉斎した。その後米田千松ほか204名が連署の上神社創立を出願、昭和10年6月18日承認された。昭和14年2月、紀元二千六百年記念事業として改築を決定し、総工費1万8千円で旭川市の平山久造に工事を依頼し、昭和15年10月9日竣工した。同年9月村社に列格、続いて同年10月神饌幣帛供進指定神社となった。
北海道神社庁のホームページから
写真でバーチャル参拝
鳥居をくぐり参道を歩き、拝殿の前で参拝するまでの様子を、写真のスライドショーにまとめました。
全部見ると本当に参拝した気分になれるかも・・・😊
参拝日:2023年5月22日(月曜日) 午前7時頃
興部公園を一周する道路に案内の看板が立っています。

興部神社 ギャラリー
ご本殿
拝殿の後ろにはご本殿と幣殿。
ご本殿には千木・鰹木が備わっています。
狛犬


忠魂碑
社殿の右手に建つ忠魂碑。


相馬大神
参道の右手奥に建つ「相馬大神」と刻まれた石碑。
末社になるのでしょうか?


由緒板
社務所の横にある由緒板はかなりくたびれていました。
文字もかなりかすれて判読できない所も多数。



行啓記念碑
由緒板奥の笹藪の中に石碑のようなものを発見。
近づいてみると「行啓記念碑」と刻まれています。


功徳碑
手水舎の後ろ辺りに建つ石碑は「功徳碑」。


社務所(無人)
鳥居をくぐってすぐ右手には「興部神社斎館」「宮ヶ丘会館」と書かれた建物。
普段は無人だそうです。
興部神社 御朱印情報
興部神社の御朱印を頂く方法は2通り。
1つめは書き置きの御朱印を頂く方法。
朝早かったにもかかわらず、拝殿の前に用意されていました。


2つめは本務社の雄武神社で御朱印帳に書いていただく方法。
今回はこのあと雄武神社で参拝し、御朱印帳に書いていただきました。

最後に
2023年5月21日、興部神社参拝の記録でした。
整備された広い境内を歩いているだけで、気持ちが落ち着いてきました。




















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