網走護国神社 (網走神社末社) 参拝 2023-05-02

網走護国神社は網走神社の境内末社として、網走神社・二の鳥居の手前に鎮座しています。
末社ですが紹介したい写真が多いので、独立した記事として掲載します。
このページは、2023年5月2日に網走護国神社を参拝した時の記録です。
網走護国神社概要
| 住所 | 〒093-0041 北海道網走市桂町2丁目1-3 | ||
| 駐車場 | 網走神社の駐車場 | ||
| 社務所 | 網走神社 | ||
| 電話 | 0152-43-3355 | ||
| 例祭日 | ? | ||
| 旧社格 | なし | ||
| 所属 | なし | ||
| 摂社・末社 | 中川稲荷神社 七福神 | ||
| 公式サイト | なし | ||
| 創建 | 明治39年(1906年) | ||
網走護国神社 鎮座地マップ
網走護国神社のご祭神
ご祭神
護国の英霊七0五柱
網走護国神社のご由緒
境内の由緒略記から
明治三十九年十一月九日 日露戦役に従軍し名誉の戦死を
遂げられた故陸軍歩兵上等兵藤尾辰藏之命外六柱の偉
勲を永遠に讃える為時の町長佐藤信吉殿と帝國在郷軍人
分会長 高松松次郎殿と相計り第三軍司令官陸軍大将
乃木希典閣下の揮毫を得て忠魂碑を網走神社境内に建立す
明治四十三年三月網走神社旧拝殿の譲渡を受け招魂社殿とし
て、祭事を司る
昭和十二年支那事変勃発に依り奉祀すべき祭神も多数を加う
るに至れるを以て時の町長大橋千次郎殿と聯合分会長廣川
六治郎相計り町有志多数の賛同と淨財を得て昭和十三年十月此
の地に本社殿を新築し英霊安鎮の誠を捧げ忠魂碑に遺
品を収めて永く顕彰を期し今日に至る
写真でバーチャル参拝
鳥居をくぐり参道を歩き拝殿の前で参拝するまでの様子を、写真のスライドショーにまとめました。
全部見ると本当に参拝した気分になれるかも・・・😊
参拝日:2023年5月2日(火曜日)午前10時半頃
網走護国神社 末社 中川稲荷神社
境内の右手奥に建つ大きな祠というか小さな社殿というか・・・
社号標横にある「毘沙門天」だと思ったのですが・・・
あとで調べたら
中川稲荷神社だそうです。
※ このお社を中川稲荷神社とする根拠はこちら(網走神社Facebook)
網走市議や網走監獄保存財団理事長を務めた中川イセさんが、個人で祀っていた社をこちらに遷座したそう。
例祭日は6月15日。
二礼二拍手一礼にて参拝しました。
小さなお社ですが細かい彫刻が随所に施されています。
稲荷神社らしくキツネも彫られているのがわかります。


網走護国神社 七福神
中川稲荷神社の横には七福神像が並んでいます。
市内7か所にあったもので、戦後は放置されていた七福神が昭和56年に合祀され、境内に復元されているそうです。


案内看板には下の様に書かれています。
七福神の由来
網走神社の前身は又十藤野家の
辨天社でこれを氏神として譲り受け後に
厳島神社より全国唯一の御分霊社の
認可を受け、茲に県社北見国一の宮となった
昭和の始め、神社総代有志相謀り次の
七ヶ所に七福神を創祉した。
一、弁財天 (桂ヶ岡) 居串栄治
二、大黒天 (御野立所)新谷順平
三、恵比寿神(最寄浜) 田邊村次
四、寿老人 (向陽ヶ丘)木下八郎衛門
五、毘沙門天(大曲明神山)伊谷平太郎
六、布袋神 (不動山) 中川国蔵
七、福禄寿神(天都山) 林 好次
行程三里(十二キロ)を春秋二回集団で
七福神巡りを行なつたが当時年中行
事として名物であった。
戦後三十年、放置されたままになって
いるのを憂い、昭和五十六年六月十日
網走寿大学十五周年記念事業として
護国神社境内内に復元合祀したのである。
石材彫刻者 藤原禎一
工事責任者 森 英之
製作 網走寿大学十五周年記念事業
奉祭 網走七福神奉賛会
網走護国神社 ギャラリー
狛犬
鳥居をくぐってすぐ凜々しい狛犬さんが出迎えてくれます。


石碑など
網走護国神社の境内には石碑がいくつか建っています。
社殿に向かって右側に英霊の名前が彫られた石碑と歌碑。
社殿に向かって左側に廣川六治郎翁の銅像と歌碑が建っています。
廣川六治郎さんはこの網走護国神社創建に多大な貢献をされた方だそうです。


境内の左手奥にはたくさんの石碑が並んでいます。




網走護国神社 御朱印情報
網走護国神社の御朱印はありません。
最後に
2023年5月2日、網走護国神社参拝の記録でした。
記事を書いていて2点わからないことがありました。
- 社号標横の「護国神社毘沙門天」とは?
- 例祭日(お祭りの日)
わかる方、コメント欄に書いていただくとありがたいです・・・


























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