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八雲神社 (八雲町) 参拝 2022-04-26

8月 17, 2023

八雲神社

八雲神社はJR八雲駅の裏、歩いて10分ほどの静かな住宅街に鎮座する神社さん。

鳥居から社殿までおよそ300mもある広大な境内をもつ八雲神社は、名古屋の熱田神宮から勧請された全国でも唯一の神社になります。

このページでは、2022年4月26日に神社を参拝した時の記録を記しています。

八雲神社概要

住所〒049-3116
北海道二海郡八雲町宮園町56番地
駐車場2箇所あり
社務所あり
電話0137-62-2523
例祭日6月21日
旧社格郷社
所属北海道神社庁
摂社・末社なし
公式サイトなし
創建明治17年(1884年)
明治20年(1887年)熱田神宮より勧請

八雲神社 鎮座地マップ

八雲神社のご祭神

ご祭神
熱田皇大神(あつたのすめおおかみ)
天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
宮簀媛命(みやずひめのみこと)
建稲種命(たけいなだねのみこと)
徳川慶勝命(とくがわよしかつのみこと)

ご祭神の熱田大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)としてよらせられる天照大神のことです。

熱田神宮による

草薙剣について、記事の最後に簡単に概要を書いています。よかったらご覧ください。

草薙剣の由来とご祭神

天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)

日本神話の女神。太陽神。高天原の主宰神。皇室の祖先神。皇大神宮(伊勢神宮内宮)のご祭神。
表記:天照大神 天照大御神 天照皇大御神 など
別名:大日孁貴神(おおひるめむちのかみ)など

素戔嗚尊(すさのおのみこと)

日本神話の神。子供っぽさ、凶暴さ、英雄的など多面性を持つ。誓約神話、八岐大蛇神話、大国主命の根の国神話など。初めて和歌を詠んだことでも有名。
表記:須佐之男命(古事記)
別名:牛頭天王(神仏習合)
祇園信仰、津島信仰、氷川信仰などのご祭神

日本武尊(やまとたけるのみこと)

日本神話の神。第12代景行天皇の皇子・小碓命。
表記:倭建命

宮簀媛命(みやずひめのみこと)

日本神話の女神。日本武尊の妃の一人。
表記:美夜受比売命

建稲種命(たけいなだねのみこと)

古墳時代の豪族・尾張国造の一人。宮簀媛の兄。ヤマトタケルの東征の際、副将軍として軍を従え、軍功を挙げたとされる。
表記:建伊那陀宿禰(たけいなだのすくね)

徳川慶勝(とくがわよしかつ)

幕末から明治期の大名・政治家。尾張徳川家(尾張藩)第14代、第17代当主。明治11年から始まった尾張藩士による八雲町の開拓を指導。昭和9年に八雲神社に合祀。

八雲神社のご由緒

当神社は、熱田神宮全国唯一の分社であり、八雲町の総鎮守として知られている。
明治10年、旧尾張藩主従一位徳川慶勝公(侯爵)は、旧尾張藩士族授産と北方防備の必要性から、北海道遊楽部川流域に地を定め、開拓事業に着手した。翌年、旧尾張藩士族第一陣82名が移住。これにより、旧尾張藩による集団移住が開始され、明治14年には「八雲村」として独立。この地名「八雲」の由来は、古事記中の素戔嗚尊の古歌「八雲立つ 出雲八重垣・・・」から徳川慶勝公御自身が命名されたものである。
開拓事業の進展にともない、人々はその精神的支柱として神社創設を願い、明治17年社殿造営、さらに明治20年徳川侯爵家のはたらきかけにより、熱田神宮より御分霊を勧請、同年八雲神社に遷座す。これにより、歴史上初めて皇室の御神宝は、熱田神宮から御分霊としてこの北の大地に奉遷されたのである。この裁可は、明治新政府の創成にあたり、徳川慶勝公の尽力を大とした明治天皇の、新事業成功を願う特別の御計らいによるものである。
昭和18年、戦時下において陸軍飛行場建設のため移転を余儀なくされ、現在の宮園町に遷宮。平成11年社殿大改修工事完成、同年12月15日遷座祭斎行。現在に至る。

八雲神社御由緒から

写真でバーチャル参拝

鳥居をくぐり参道を歩き、手水舎で身を清め拝殿の前で参拝するまでの様子を、写真のスライドショーにまとめました。

全部見ると本当に参拝した気分になれるかも・・・😊

参拝日:2022年4月26日(火曜日) 午後1時半頃

  • 八雲神社境内入り口
    静かな住宅街の中に現れる高い木立が境内の入口になります。
  • 八雲神社社号標
    社号標。小さく「侯爵 徳川義親拝書」と刻まれています。
  • 八雲神社 車止め
    注意書き。
  • 八雲神社の鳥居と灯籠
    では軽く一礼して鳥居をくぐります。
  • 八雲神社参道
    メッチャ長い玉砂利が敷かれた参道。幅も広いですね。ずっと先に小さく社殿が見えます。
  • 八雲神社 第2駐車場
    半分も歩かないうちに右手に第2駐車場が見えてきます。(写真は駐車場から参道の方を撮影)
  • 八雲神社 参道
    歩くたびに聞こえる玉砂利の音で心が浄化されていくようです。
  • 八雲神社 車止め
    ゆっくり歩いて5分ほど経ったでしょうか?参道の左右に建物が見えてきました。右手は社務所、左は手水舎と神輿庫(?)でしょうか?
  • 八雲神社手水舎
    手水舎。湧水なんでしょうか?常に水が流れています。
  • 八雲神社 手水鉢
    手水鉢は大きな石をくり貫いて作ったものなんですね。
  • 手水舎のひしゃく
    ひしゃくが壁に掛けられていましたが、今回はコロナ禍ということもあり使いませんでした。
  • 八雲神社 社殿の前
    手水を済ませ社殿の方に進みます。左側に絵馬掛け、社殿の左側には土俵もあります。社務所の横には大きな石碑が建っています。
  • 熱田神宮御分霊の石碑
    全国で唯一熱田神宮から分霊されたことが刻まれています。左側2行ほどが消されていましたが何が書かれていたのでしょう?
  • 八雲神社拝殿
    拝殿の前には狛犬さんが鎮座しています。
  • 八雲神社拝殿
    入母屋造りの拝殿。平成11年に大改修が行われたのでまだ新しく見えます。
  • 八雲神社拝殿前
    では二礼二拍手一礼にて参拝します。
  • 八雲神社社殿の扁額
    拝殿入口上の扁額はシンプルでごく普通ですね。

ギャラリー

参拝した後に撮影した写真を何枚か掲載しておきます。

狛犬

髭と鼻の穴が特徴。阿吽の並びはノーマル。

土俵

社殿のすぐ左手に土俵があります。4本の柱が立っています。

植樹関連

社殿から遠ざかる方に歩いて行くと・・・

常陸宮華子妃御手植の石碑(昭和50年)

さらに同じ方向に進むと・・・

徳川義和殿御手植碑(昭和50年)。こちらは木製の碑ですね。

池のほとりの徳川義親侯正三位御陞叙奉祝記念水松碑

英霊碑

桜並木と英霊碑。

英霊碑の裏面に日露戦争と満州事変で戦死された八雲出身者が刻まれています。

さくら、満開になったらさぞかしきれいなんでしょうね・・・

境内の池

とっても趣きがあり、見ているだけで気持ちが穏やかになりました。

八雲神社 御朱印情報

御朱印は対応していないようです。

何年か前までは御朱印をいただいたという口コミがたくさんありました。

今回いただけるものだと思って社務所に行くと

「ウチはそういうことやってないんだよね」

そっけなく、こういわれました。

コロナ禍ということだけでなく、何か事情があってやめたのかもしれません・・・

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最後に

2022年4月26日、八雲参拝の記録でした。

広い境内は静かで落ち着いた雰囲気に包まれていました。

神職さんの対応には「?」と思ったものの、機会があれば又参拝してみたい神社さんですね。

駐車場について

駐車場は2箇所あります。境内入り口に案内看板があるのですぐわかるかと思います。

第一駐車場は鳥居から左側に進んで次の交差点で右折すると、社殿を奥に見る広い駐車場があります。

第1駐車場から社殿を見る

第2駐車場は鳥居から右側へ進み、次の交差点左折し、またすぐ左折すると参道の途中にスペースが見えます。

八雲神社 第2駐車場
第2駐車場から参道の方を見る

草薙剣の由来と熱田神宮のご祭神のこと

最後の最後に、八雲神社のご祭神(≒熱田神宮のご祭神)に関連する神話をご紹介します。たくさんの神さまが祀られているその理由の一端がわかるかもしれません。

興味のある方は読んでみてください。

草薙剣は天皇が天皇たる所以を示す三種の神器の一つ。

草薙剣の由来は神話の時代までさかのぼります。

ヤマタノオロチ神話が草薙剣のルーツ

日本神話の八岐大蛇伝説で、スサノオが出雲国でヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治した時に、大蛇の尾から見つかった神剣が草薙剣。日本書紀では天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と呼ばれていました。スサノオは、自分で持っているのは畏れ多いと高天原のアマテラスに献上します。

天孫降臨神話で地上に降ろされる

天孫降臨神話でアマテラスは、他の神器(八咫鏡・八尺瓊勾玉)などと一緒に天孫・ニニギノミコトに託し、地上に下りることになります。三種の神器は当初は天皇の住まいである皇居に祀られていました。

アマテラス巡幸の旅で皇居を離れる

第10代崇神天皇の御代、疫病がきっかけとなり、アマテラスの御魂は皇居から離れて鎮座地をさがす旅に出かけることになります。それに先立ち、神剣の形代が造られ、形代は宮中(天皇の側)に残り、本来の神剣は笠縫宮などを経由して、最終的にヤマトヒメがアマテラスのご神託を受け、今の伊勢神宮がある場所に落ち着くことになります。

ヤマトタケル東征と草薙剣名前の由来

景行天皇の御代、東征を命じられたヤマトタケルは、東に向かう前に伊勢神宮に立ち寄ります。そこで叔母であるヤマトヒメから神剣を渡されます。

尾張国でミヤズヒメと結婚の約束をし、姫を残して東へ向かいます。この時ヤマトタケル軍の副大将だったのが建稲種命(たけいなだねのみこと)でした。

東国での戦いが続く中、駿河の国で焼き討ちにあった際、この神剣であたりの草を薙ぎ払い、ピンチを脱したことから草薙剣と呼ばれるようになりました。

ヤマトタケルの死と熱田神宮の起源

東征の任務を完了したヤマトタケルは尾張国に戻りミヤズヒメと結婚しますが、すぐに伊吹山の神退治に出かけます。

この時、神剣をミヤズヒメに預けたまま出かけたこともあり、命を落としてしまいます。

ヤマトタケルの死後、草薙剣は伊勢の神宮に戻ることなくミヤズヒメと尾張氏が尾張国で祀り続けました。これが熱田神宮の起源とされています。