砂館神社 (上ノ国町)参拝 2022-04-25

砂館神社は道南上ノ国町字北村に鎮座する無人の神社さん。
もともと松前氏の祖・武田信廣が州崎館内に毘沙門堂として建てた社で、上ノ国八幡神社、夷王山神社と共に上ノ国三社といわれる由緒ある神社です。
砂館神社 概要
| 住所 | 〒049-0622 北海道桧山郡上ノ国町字北村96番地 | ||
| 駐車場 | 鳥居の右側に数台分 | ||
| 社務所 | なし | ||
| 電話 | 0139-55-2065(上ノ国八幡宮) | ||
| 例祭日 | 9月3日 | ||
| 旧社格 | 村社 | ||
| 所属 | 北海道神社庁(檜山支部) | ||
| 摂社・末社 | なし | ||
| 公式サイト | なし | ||
| 創建 | 寛政3年(1462年) | ||
砂館神社 鎮座地マップ
砂館神社のご祭神
ご祭神
須佐之男命(すさのおのみこと)
火産霊命(ほむすびのみこと)
日本神話の神。子供っぽさ、凶暴さ、英雄的など多面性を持つ。誓約神話、八岐大蛇神話、大国主命の根の国神話など。初めて和歌を詠んだことでも有名。
表記:素戔嗚尊(日本書紀)
別名:牛頭天王(神仏習合)
祇園信仰、津島信仰、氷川信仰などのご祭神
日本神話の火の神。
別名:火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ) 軻遇突智(かぐつち)など
砂館神社のご由緒
寛正3年(1462年)夏、武田信広が洲崎の館に旧称毘沙門天王社(毘沙門堂)を鎮祭し、円増院秀延が別当になった。創立の縁起は、先ず新羅之記録に現れた。本道の社寺のうちで、古文献に誌された最初のものであるが、この社の縁起は、松前諸社のうちもっとも名高く、福山祕府・松前旧事記・東蝦夷夜話・北海随筆等にも誌されている。4代季広がこの社に参詣した時、勝山城代崎基広の謀叛が発覚したので、毘沙門天王の示現なりとして、天文18年(1549年)新堂を造営した。(新羅之記録)慶長9年(1604年)11月造替(この年正月慶広が国政の墨付をもらった。)寛文4年(1664年)5月造替(9代高広が、国政の印伝馬の令書をもらって5月に帰藩した)。天和元年(1681年)造替(この年矩広が将軍に謁し、翌2年国政の朱印をもらって帰国した)。元禄16年(1703年)7月造替安永7年(1787年)12月社殿焼亡し、北村名主は責を怖れて自殺した。藩主道広はただちに造営に着手し、12月23日仮殿成就、翌々安永9年(1789年)6月、本殿並びに拝殿成り、御神体を勧請して、遷座祭を執行し、棟札に天皇宝祚無窮玉体平全・征夷大将軍武運永久・源道広武運長久子孫繁昌と誌した。文久2年(1862年)、雪のため拝殿が潰れたので、藩命により、江差奉行が検分し、ただちに工事にかかった。江差で切込みをし、上ノ国から人夫を出して建込をした。5月下旬新社殿落成し、8月20日遷座、江差奉行新井田浦人が代参した。上ノ国三社のうち、この社だけが古来から藩費による月次の神楽が行われていたことが、福山祕府近来寺社例部明和9年(1772年)の条に誌されている。藩主の社参や代参も、上ノ国に落着くと先ず毘沙門天王社に参拝するのを例とした。明治4年神仏分離の際、砂館神社と改称、祭神を須佐之男命に改めた。
北海道神社庁のHPから
※ 北海道の神社で最初に記録に現れる古い神社
写真でバーチャル参拝
鳥居をくぐり参道を歩き、手水舎で身を清め拝殿の前で参拝するまでの様子を、写真のスライドショーにまとめました。
全部見ると本当に参拝した気分になれるかも・・・😊
参拝日:2022年(令和4年)4月25日 午前7時頃 あいにくの曇り空
ギャラリー
狛犬


社殿
道南に鎮座する神社の社殿は入母屋造りの多いですね。


参道の両脇に鎮座する祠
参道の両脇には小さな祠がいくつか鎮座しているのが見えます。


史跡など


長禄元年(1457年)のコシャマインの戦いで功をあげた武田信廣が、上之国守護 蠣崎季繁 の養女である 安藤政季 の娘を妻とし同年築いた館。勝山館とともに松前藩300年の基を作る。
砂館神社の御朱印情報
砂館神社の御朱印は、上ノ国神社の社務所でいただくことができます。
今回の参拝では、コロナ禍につき上ノ国神社では御朱印を休止していました
最後に
砂館神社の参拝記録でした。
























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