小清水神社 (小清水町) 参拝 2023-10-02

小清水神社は小清水町市街中心部に鎮座する神社さん。
このページは、2023年10月2日に小清水神社を参拝した時の記録です。
小清水神社概要
住所 | 〒099-3641 北海道斜里郡小清水町元町1丁目51-1 | ||
駐車場 | 社務所手前 | ||
社務所 | 9:00〜17:00(?) | ||
電話 | 0152-62-2607 | ||
例祭日 | 8月28日 | ||
旧社格 | 村社 | ||
所属 | 北海道神社庁 | ||
摂社・末社 | なし | ||
公式サイト | なし | ||
創建 | 明治初期 |
小清水神社 鎮座地マップ
小清水神社のご祭神
ご祭神
天照大神(あまてらすおおみかみ)
天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
日本神話の女神。太陽神。高天原の主宰神。皇室の祖先神。皇大神宮(伊勢神宮内宮)のご祭神。
表記:天照皇大神 天照皇大御神 など
別名:大日孁貴神(おおひるめむちのかみ)など
日本神話の神。古事記では天地開闢の際、高天原に一番最初に現れる造化三神の一柱。近世に、天の中央の神ということから北極星の神格化である妙見菩薩と習合する。明治以降の神仏分離で、全国の妙見社や水天宮のご祭神となる。
小清水神社のご由緒
明治初期頃、櫻ヶ森を神地として、天照皇大神宮と謹書し木碑(現在地)を建てた。
北海道神社庁のホームページから
明治31年6月地域の総守護として境内地を整備。明治35年9月17日社殿を造営。明治42年8月28日三重県の神宮より天照大神の御分霊を奉斎。大正11年8月28日社殿を造営。大正14年9月10日社殿を増改築し、福島県の相馬中村神社より天御中主神の御分霊を合祀し、小清水神社と称した。
大正14年12月1日神社創立申請をし、昭和2年4月2日内務省より創立許可となり無格社に列格。昭和17年9月9日村社に列格。同年9月16日神饌幣帛供進神社に指定される。昭和20年12月28日社格を廃し、昭和21年7月10日宗教法人令により神社本廳に属し、昭和28年2月24日宗教法人の認証を受ける。昭和41年8月28日社殿を造営。平成22年8月28日社殿を丘陵上の鎮座地より平地境内に造営。平成23年例祭日(9月17日)を8月28日と改める。社殿付近の木々は氏子の植樹によるもので境内は自然の森に囲まれ、小清水の開拓の歴史とともに尊ばれている。
写真でバーチャル参拝
鳥居をくぐり参道を歩き、手水舎で身を清め拝殿の前で参拝するまでの様子を、写真のスライドショーにまとめました。
全部見ると本当に参拝した気分になれるかも・・・😊
参拝日:2023年10月2日(月曜日) 午後2時40分頃
小清水神社 ギャラリー
ご本殿
狛犬
小清水神社には2対の狛犬さんが鎮座。
社殿に近い方は今風の風貌でまだ新しそうです。


この狛犬の台座の中には老朽化した古い狛犬さんが保管されていることを宮司さんが教えてくれました。
手水舎の近くに鎮座する狛犬さん。
目と口のペイントでどことなく愛嬌のある風貌。


神馬像
鳥居の右手には神馬像。
石碑
慰霊碑
社殿の左手に建つのは慰霊碑
皇紀二千六百一年記念 の碑
慰霊碑の後ろに「皇紀二千六百一年記念」と刻まれた石碑。
以古為鏡
社殿の右手に建つ石碑。達筆すぎて読めなかったのですが・・・
多分「以古為鏡」と書かれていると思われますが・・・
境外の石碑群
国道334号線と小清水神社が建つ道道246号線との交差点には小清水神社の社号標が建っています。
その後ろには燈籠にはさまれて石碑がいくつか並んでいます。


左から「佐倉神社」「馬頭観世音」「北辰妙見天御中主神」と刻まれています。
この右側にもう一つ石碑があるのですが、何と書かれているかはわかりませんでした。
あれこれ
慰霊碑と皇紀二千六百一年記念の碑との間に立つ二本の大木の間に注連縄が掛けられていました。
ご神木なのでしょうか?


境内の左手に広いスペースがあり小さな建物、土俵、壊れた四阿などが置かれていました。




小清水神社 自己祓いの作法
手水舎に祓串が置かれているのを初めて見ました。
コロナ禍での対応ということですが珍しかったので共有します。


小清水神社 御朱印情報
小清水神社の御朱印は社務所でいただくことができます。
この日は手書きでいただくことができました。

不在時の書き置き対応はしていないそうでラッキーでした。

日付を「九」と書きそうになって「十」に書き直したとのことで初穂料はなしにしてくれました。
別に気にしなかったんですが・・・
最後に
2023年10月2日、小清水神社参拝の記録でした。


石碑の「以古為鏡」が気になったので調べてみました。
『資治通鑑』卷196・唐紀12から
「人以銅為鏡、可以正衣冠;以古為鏡、可以見興替;以人為鏡、可以知得失。魏徴殁,朕亡一鏡矣!」
その意味は以下の通りです。
「人は銅を鏡とすれば(姿を映して)衣冠を正すことができる。昔を鏡とすれば(歴史によって)世の興亡盛衰を知ることができる。人を鏡をすれば(その人を手本として)善悪当否を知ることができる。今、魏徴が死んで、朕は一つの鏡をなくしてしまった』
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