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興国神社 (旭川市) 参拝 2024-05-07

7月 20, 2024

興国神社
興国神社(旭川市)

興国神社は旭川市東鷹栖に鎮座する無人の神社さん。

小さな神社ですが東鷹栖の歴史を語る上ではかかせない大切な神社になります。

このページは、2024年5月7日に興国神社を参拝した時の記録です。

興国神社概要

住所〒071-8103
北海道旭川市東鷹栖3条4丁目2947番地
駐車場なし
社務所無人
電話0166-51-2902(鷹栖神社)
例祭日8月10日
旧社格無格社
所属北海道神社庁
摂社・末社なし
公式サイトなし
創建明治27年(1894年)

興国神社 鎮座地マップ

興国神社のご祭神

ご祭神
大國主神(おおくにぬしのかみ)
松平直政公(まつだいらなおまさこう)

大國主神(おおくにぬしのかみ)

日本神話の神。出雲大社の主祭神。国土開発・経営を行った国つ神の主宰神。
別名:大那牟遅神 大己貴神 八千矛神 葦原色許男 宇都志国玉神など多数

松平直政公(まつだいらなおまさこう)

戦国時代の武将で徳川家康の重臣として知られる。出雲松江藩初代藩主。上川郡鷹栖村に松平農場を開設し興国神社を創設した伯爵松平直亮は直政公の子孫。

興国神社のご由緒

 明治27年、伯爵松平直亮が上川郡鷹栖村に松平農場を開設し同年守護神として出雲大社、松江神社を勧請して鎮祭、この間大正8年8月11日伏見宮博義王殿下華頂宮博忠王殿下、大正9年8月3日久邇宮邦久王殿下久邇宮朝融王殿下それぞれ御参拝の上、松の御手植あらせられた。昭和12年に農場開放が行われた時、地域内に散在していた小祠を合祀し、昭和13年7月14日神社創立出願、昭和14年8月4日内務省令13北第6号をもって創立を許可され、翌15年2月15日神社創立完了届出。昭和28年、神社庁所管の宗教法人となり現在に至る。その間、境内諸施設の修復を計る。

北海道神社庁のホームページから

写真でバーチャル参拝

鳥居をくぐり参道を歩き、拝殿の前で参拝するまでの様子を、写真のスライドショーにまとめました。

全部見ると本当に参拝した気分になれるかも・・・😊

参拝日:2024年5月7日(火曜日) 午前8時頃

小雨の降る中での参拝&撮影

  • 興国神社 社号標
    参道右手に建つ社号標。土台が自然石ですね。
  • 興国神社 参道前半
    舗装された参道を歩きます。周りが開けていて神社の参道っぽくありません。
  • 興国神社 参道の橋と狛犬
    小さな石橋とステンレス製の鳥居の間に狛犬さんが鎮座。
  • 興国神社 鳥居
    軽く一礼して光を反射して輝く鳥居をくぐります。
  • 興国神社 参道中盤
    鳥居をくぐると雰囲気は一変!空気が全く違います。
  • 興国神社 参道後半と社殿
    また小さな石橋を渡ります。
  • 興国神社 社殿
    小さいながらも大社造りの立派な社殿。白い壁と赤い屋根が緑に映えます。
  • 興国神社 社殿の前
    鈴を鳴らしお賽銭を入れ二礼二拍手一礼にて参拝しました。
  • 興国神社 社殿の中
    失礼して中を撮影させていただきました。

興国神社 ギャラリー

ご本殿

意外でしたが(失礼)、ご本殿がありました。

興国神社 本殿

狛犬

鳥居の前に控える狛犬さん。

かわいらしいのですが風化が激しくかわいそう。

石碑など

それほど広くはない境内ですが、石碑がたくさん並んでいました。

鳥居をくぐってすぐ左手にはこんな感じで並んでいます。

興国神社 参道左手の石碑群

地神宮

一番左は地神宮と刻まれた石碑。

昭和17年に建立され平成23年にこの場所に移された旨のことが石版に刻まれています。

興国神社 地神宮

開拓の父 内田瀞を偲ぶ

地神宮の隣の細い石碑は植樹記念碑。

その隣は「開拓の父 内田瀞を偲ぶ」と刻まれています

内田瀞(うちだきよし)とは
安政6年(1859)高知県生まれ。道庁五等技師、殖民地選定主任など歴任し、北海道開拓の基礎資料を作り開拓に大きく貢献した。

興国神社 内田瀞を偲ぶ碑

庚申塚

一番右側の石碑は「庚申塚」。神様の絵がたくさん描かれています。

明治43年に建立、平成12年にこの場所に移されたことが石版に刻まれています。

興国神社 庚申塚
庚申塔とは

庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石碑、石塔のこと。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多いといわれます。

庚申信仰・庚申講とは

人の体内にいるとされる三尸虫(さんしちゅう)という虫が、旧暦・庚申の日の夜寝ている間、天帝にその人間の悪事を報告しに行くという道教の教えがあります(庚申信仰)
それを避けるためその夜は眠らず、天帝や猿田彦、青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習のこと(庚申講)

頌徳碑

上の石碑群の反対側に建つ大きな石碑は頌徳碑(しょうとくひ)。

興国神社 頌徳碑

愛馬之碑

鳥居の手前右手奥に建つ石碑は愛馬之碑。

興国神社 愛馬之碑

植樹記念碑

興国神社の境内には上で紹介したような石碑とは別に、皇族や華族の方々のお手植えの木であることを示す碑がたくさん並んでいます。

全部は掲載できませんが一部紹介します。

あれこれ

興国神社境内の左側は東鷹栖中学校のグラウンド、右側には東鷹栖団地が建つなど人々の普段の生活を感じることができます。

ですが、ステンレスの鳥居から先は木立に囲まれ、鎮守の杜と呼ぶにふさわしい全く別の世界にかわります。

社殿前の石橋から見る小川の流れにも癒されます。

社務所

参道の右手に参道に背を向ける形で建つプレハブの建物が社務所。

その横に数台車を駐めるスペースがありました。

興国神社 御朱印情報

興国神社の御朱印は鷹栖神社の社務所でいただくことができます。

手書きで書いていただきました。

今回は興国神社、北野神社を参拝した後、鷹栖神社に参拝して御朱印をいただきました。

その時の神職さんとのやりとりを思い返すと・・・

参拝を済ませていないと書いていただけないような気がしました・・・(確認したわけではありませんが)

やりとりの様子を鷹栖神社の参拝記録に書きました。

クリックで鷹栖神社の御朱印情報にジャンプ

最後に

2024年5月7日、興国神社参拝の記録でした。

記事を書いていて出雲系だったことに気づき、二礼四拍手一礼での参拝にするべきだったとちょっとだけ後悔・・・

興国神社 社殿

鷹栖神社で御朱印がいただける興国神社と北野神社の鳥居がそろってステンレス製の明神系鳥居なんですが・・・

これは偶然なのか、それとも何か意味があるのかちょっと気になります。